子供の喘息がきっかけで脱サラ、気が付いたら20年。心と身体を回復させるアイテム「温」「緩」「巡」の日々をつらつら書きたいと思います。
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「いばらの道」回避理論ということを数年前に真剣にかんがえたことがありました。

「痛い目に逢わないとわからない」「追い込まれないと
気づかない」という思考パターンをなんとか回避できないか
ということなんですね。
用はある時期に「痛い目に逢わないとわからない」「追い込まれないと気づかない」という連続に疲れてしまったわけです。

当初はそれらを乗り越え気づくことで自分が楽になる「快楽」があるわけですから、「試練好き」「いばら好き」などといって自分をなぐさめながら(T.T)、ひたすらドーパミンがドバドバ出る快楽を求めて「自分と向き合う!」なーんてやってたわけです。
人間、どんな形でも「快楽」がないと行動しませんからね。
種の保存も、達成感を求め努力するもみな同じだと思います。
だから「いばら好き」の思考パターンが取れないわけです。
「快楽主義」だから・・・

しかしあるとき、ほんとに疲れてしまった。
で、いろいろ考え、実践して出た
「いばらの道」回避理論の答えは

「乗り越えることを繰り返せば気づきが早くなる、または
そんなに痛い目や追い込まれなくても事前に気づくようになる」

という微妙な結論に今のところなっています。
いばらを進めば勝手に回避してたという本末転倒の結果ですな、ははは。(以前の回避理論は「いかに逃げるか」を追求してた、と今になってはわかるんですが・・・)

逆に言えば「ドーパミンが出るほどの変化がなくなりつつある」という・・・なんだかなぁさびしいような・・・
ことになります。淡々とした退屈な状態。

でもこの淡々とした退屈な状態こそが「幸せ」という実感であるのも事実です。

逃げ回ると幸せは来ない・・・とも言えるかも・・・
ただし、僕の場合ですけどね。




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