子供の喘息がきっかけで脱サラ、気が付いたら20年。心と身体を回復させるアイテム「温」「緩」「巡」の日々をつらつら書きたいと思います。
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みなさんの中には自分を成長、安定させるために瞑想や技法を日々の
生活に取り入れている方も多くおられるかと思います。

その過程で、「底知れぬ快感」を得る瞬間があります。
俗に言う「悟りの境地」とか「無の境地」と表現されることかもしれません。

先日、とある瞑想をやっておられるグループの方と話していたら
「一度だけ、無の境地というかふかーく満たされた感覚があったんだけど、それ以後それがなくてね、がんばってるんですけど・・・」
と話された。
「それは、地道にがんばったからそれを得たのであって、それを再現することを目的に瞑想すると魔がさしますよ」と少しきつめにお答えしました。

確かに体感として実感できるものですから、それを再現しようとして
がんばるのは仕方ないと思います。
あの身も心も満たされ、拡がり、すべてと一体化し、光となるような
快感は一度体験すると忘れることはできないでしょう。

よく「瞑想は指導者のもとでやらないと我流は危険を伴う」というのは
エネルギーが急に動いて偏差を起こし、頭(脳)が麻痺することと、
上記のように目的を誤って「魔」にさされることです。
その「魔」については具体的なことはあまり書きませんが、要は
「おかしな思い込みに囚われる」ということです。
サリン事件もその一端でしょう。

瞑想の目的は(あくまで持論ですが)
「無(我またはエゴがなくなった)の状態に意識を一時的に置き
そこから得た情報を実生活で実践し、結果を生むこと」
「リラクゼーションを誘発し、自律神経を安定させることで肉体の
免疫、自己治癒力を向上させること」
と、自分の体験から定義づけています。

あまりにもインパクトのある快感のため、それを目的とする気持ちは
わかりますが、そこはあくまで通過点と認識し、いつも冷静かつ淡々と続けていただきたいと思います。
またそれと同時、冷静に判断できる師、または仲間を必ず作っておくことです。単独は避けましょう。体感にこだわったり、それを目的としているようなグループはやめておきましょう。
仮に身体が宙に浮いたところで何の役にも立ちません・・・空を飛べたらいいけど。

なんか悪徳商法撲滅キャンペーンみたいなノリになりましたが、
先に経験した(いいこともわるいことも)者としては、なるべく効率よく達していただけたらなぁと超おせっかいの近所のおばちゃんになってしまいます。

おせっかいは嫌われる!!
とわかっててもやってしまいます。はぁ~っ(^^;)


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