子供の喘息がきっかけで脱サラ、気が付いたら20年。心と身体を回復させるアイテム「温」「緩」「巡」の日々をつらつら書きたいと思います。
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今回は去年書いた自分の文を載せてみました。

2月4日初詣&厄払いにいきました。
大神神社の神官さんは祝詞の前にお話をしてくださり
「厄は災いではなく社会的役割を自覚することでもある」という「やく」つながりのいかにも神道的ひらがな
トークをしていただきました。
では社会的役割を自覚するにはどうするか?
自分の立ち位置を理解すること。
そのためにはどうするか?
まわりを見渡すこと。
その結果でたのは
「おごるな」という答えでした。

ここ2~3年、あんまり勉強しない僕が2ヶ所ほど
まる1年通った勉強会がありました。
どちらも自分には合わずに止めてしまいましたが
その2ヶ所がこのひと月でそれぞれに新聞、テレビで大きく報じられるほどの事件に巻き込まれ、それが続いたもんだから
僕は正直焦りました。たった2ヶ所しかいってないのにその2ヶ所ともですからね。

そのメッセージを必死になって検証したら
自分がそれぞれをやめた理由は
「指導者がカリスマだった」という結果でした。
それが事件と結びつくかどうかは全く関係のないことですが、自分としてはそう結論づけました。

各々の先生は自覚されていなかったと思うのですが
取り巻きがそうしてしまうところもあるでしょう。
「おごり」とは自分が氣づかずに進行しているものかも
知れません。
もしそうなっていれば、それを制止してくれる仲間が
いればよいことです。
しかしカリスマはそうはいかないんですね。
孤独かもしれません。

自分自身も考えなおすところがありますし戒めという意味では実になる厄年でもあります。
昨年の自分の周りのもろもろは自分の「おごり」からきているようにも思えます。

まわりを見ることは自分を見ることでしょうね。
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