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子供の喘息がきっかけで脱サラ、気が付いたら25年。心と身体を回復させるアイテム「温」「緩」「巡」の日々をつらつら書きたいと思います。
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今年も12月、
師走になってしまいました。

一年、あっという間ですねぇ~
とあちこちで枕詞のように挨拶する季節ですね。

時代は新しい年号を迎え、天皇陛下ご即位のさまざまな儀式がテレビで放映されました。
益々、お二人を身近に感じるようになった気がします。

我が奈良県にも初代神武天皇陵がある橿原神宮においでになったようで、
提灯を使って意志疎通をするイベントなどをやっていましたね。

しかし、過去の天皇陛下と民衆は決して身近に感じるものではなかったはず。

このように古くからの伝統に則りつつも新しい価値観を取り入れていくのは賛否両論があって、
変化に対応していくのはとても難しいと思います。

自分の回りに関しても同様に、
例えば冠婚葬祭はほんの30~40年前まで自宅に客人を迎え入れてやっていたものが、
やがてホールでやり、ごく最近では結婚式もお葬式もしない、、という流れにまでなってきました。

私もあと数年で還暦ですが、新しい価値観にどんどん対応していかないと
ほんとに時代に乗り遅れてしまいそうです。

古きよき風習は継続し、新しきよき風は迎え入れていけるように頭を柔らかくしていきましょう。
八千草薫さんが他界されました。

僕らはヤマハパッソルというスクーターのCMに出ておられることで
その存在を知りました。
ちょうどホンダのロードパルというスクータ―のCMでソフィアローレンが
出演(ラッタッタ~♪と言えばわかるかな?)していて、その対抗馬が
八千草薫さんだった気がします。
世界的女優に対抗でき、女性にも優しく乗れるスクータ―としての
イメージ、すなわち、日本の理想の女性像だったわけですね。

最近までかわいい、品位あるおばあちゃまを演じておられましたが
あのお顔はほんとに自然体でステキな笑顔をされていたと思います。

巷ではアンチエイジングとしていろいろなことがなされていますが、
やはりどう見ても不自然なお顔の方々がいっぱいおられて
「いやぁ、もうやめといたら??」と思ってしまうこともしばしですね。

自然にキレイに年を取る・・・
これはやはり普段の生活での影響も相当あるのではないか。
もちろん、若い頃からの影響も多大にあるわけで
高齢になるに従い、どう生きてきたかをまざまざと見せられるんだろなと
八千草さんの報道を見ながら思いました。

本当のアンチエイジングは生き方の見直しからなんじゃないかなと。
暑いのも少し落ち着いてきましたね。
蜩の鳴く声も聞こえてきました。

夏もそろそろ終わります。
そしてNHKの朝ドラ「なつぞら」も後ひとつきで終わります(TT)

自分たちが小学生だった頃のアニメの背景が見れて最近は違った意味で
面白いですね。

そんな中、ひとつだけ違和感を感じます。
それはベタベタの関西弁を話す上司がいることです。
いまのところストーリー上キーマンではありません。
悪い役でもありません。
ただの「賑やかし」的なお飾りにみえなくもない・・・
そのキャラクターいるの?と思う位置づけです。

アニメであれ、ドラマであれ、
だいたい関西弁のキャラクターが一人は混ざっています。
これといって何もしていなくても関西弁をしゃべっているだけで
気になる存在になってしまうわけです。

そう、「こいつ、ひと一癖あるな」という目線です。

どうも全国的に関西弁のイメージというかキャラクター性が
そんな感じで使われているようですね。

あとは絶対に面白い人だ、とか話に必ずオチがある、とかイメージを持たれて
我々関西人はどんどん他の地域の人たちとしゃべる時にハードルが上がっていきます。

もちろん、笑いの文化が幼少の頃からしみ込んでることもあります。
確かに日常会話にボケ、ツッコミは当たり前のようにありますし、
オチがない話は怒られてきました・・・

しかし、それを期待されても困るよなぁと思いつつ
ドラマのあの関西弁の上司になんかやれよ~と期待している自分がいました。

これこそ、人のふりして我がふり直せ。。。ですね。
今年の2月は暖冬で暖かい日が続きましたね。
各地で梅も咲きだしたようです。

先日、
昨年から始めた四国88か所巡業、いわゆるお遍路さんを
してきました。
自分の場合はクルマかバイクになりますけど・・・
まだまだ歩き遍路はムリです(^^)

そして、いつも思うのですが
どうして社寺、城はお山の高いところにわざわざ大変な思いをして建てるのだろうか?と。

神社は山自体が神様なのでなんとなくわかるのですが。
お城は時の支配者が諸国、庶民を見下ろすために、
また攻め入られないためにお山の上に建てるのは、これもわかるのですが、

お寺は人々の心の拠り所を、わざと参拝しずらい場所に建てるのか?考えてみました。

1、修行は人里離れたところでするから。
2、災害時に回避できる立地だから。
3、庶民を見守るという意味で。
4、わざわざ登ることでありがたみがわくから。

で、本当の意味はどうでもよくて、
自分としては実際に思った4番の「ありがたみがわく」ですね。

町の中にあるお寺はなぜかイマイチ物足りなさを感じ、
山を上がってフウフウ言いながら本殿にたどり着くと
「やっと来たなぁ」と思ってしまいます。

心の拠り所にするならば、
ありがたみを感じることで充実するのでそれでよいかな。

何が言いたいかと言うと、自分なりの納得があれば、
本当の意味なんてどうでもよくて、幸せを感じれるよね・・・・
ってことですかね。

でも御朱印書いてくれる人が無愛想だとちょっと嫌かな(^^)
インフルエンザの猛威で
キャンセル続出、、

ショーバイアガッタリ、、(T_T)
僕は元気ですが、

ふて寝するしかないですなぁ、、

ほんと、自分も気を付けないと、

うがい、手洗い、葛根湯、

あとは風門を冷やさない。

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